鎌倉幕府?義経が死んじまう時代だぁ! 鎌倉時代 其の1
皆様おはようございます(^^♪
本日の甲子園は注目高校ばかりで仕事休んでやろうか悩み中です。
わかる人にはわかりますが、どのチームが優勝してもおかしくないと言われている中でも常連校の、広陵や智弁和歌山、大阪桐蔭に日本文理等々・・・楽しみでしょうがないです(>_<)
まぁ休まないですけどね・・・
さて、皆様今日も素敵な笑顔で色々吹き飛ばしちゃいましょう(*^_^*)
毎日のブログを楽しみにしている、高校野球大好き「源義経FAN」です。
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
以降になります。
鎌倉幕府
1192年成立したとされる鎌倉幕府は武家政権であり、約150年間を鎌倉時代と呼び、源頼朝が創設者となっています。
その後は北条時政・北条義時らが鎌倉に設立した幕府です。
源頼朝
征夷大将軍までの流れ
↓
1185年:義経の追討する院宣を賜る。義経追討を口実に守護・地頭を設置
頼朝:「法皇様、義経を追悼したいのですが、全国に地頭が無いとむずかしいです・・・」
法皇:「マジで?・・・全国かぁ(絶対こいつ良からぬこと考えてんな)」
頼朝:「お願いします・・・(早く首を縦に振れよハゲ!)」
法皇:「しょうがない・・・許可しよう(あー許可しちゃったよ。将来に不安が増えちまった・・・まぁでも俺は死にそうだからいっかな)」
↓
1189年:奥州藤原家4代目の藤原泰衡に対し、義経討伐を命じる。討伐後に頼朝は泰衡を滅ぼす。
頼朝:「おい藤原さんよぉ、義経かくまってんだろ?正直に言わないと知らないよ。」
泰衡:「いやいや、義経さんなんていないっすよ(-"-;A ...アセアセ」
頼朝:「あっそう。まぁどっちでもいいや。とりあえず義経の首持って来いよ。持ってこないと潰すよ(-。-)y-゜゜゜」
泰衡:「!!(マジか!)・・・・」
・・・その後、
泰衡:「頼朝さん!やったりました!義経やったりましたよ!」
頼朝:「あっそう。やっぱり義経をかくまってたんだね。はい嘘ついたぁ。潰しますね!」
泰衡:「・・・・・・・・チーン」
↓
頼朝:「この役は大した権限ないかんなぁ・・・やめちまおうかぁ」
↓
1192年:征夷大将軍に任命される
頼朝:「大将軍!よし!これで色々権力が使える!俺の時代の始まりだ!」
守護と地頭
守護:守護は、武家の職制であり、各地域に設置された軍事官・行政官です。
後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を与えた事により、幕府に組み込まれていきました。設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督です。
地頭:地頭とは、鎌倉幕府が荘園を管理するために設置した職業です。在地御家人の中から選ばれ、直接、土地や百姓などを管理しました。
征夷大将軍
朝廷の令外官(律令の令制に規定のない新設の官職)の一つです。
源頼朝は「大将軍」の称号を望み、朝廷は征夷大将軍を任じた。
武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府が続きました。
本日はここまで!
今日も一日全力で頑張りましょう(^O^)/
では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪