義経のいない源氏なんて源氏じゃないやい!! 鎌倉時代 其の2
皆様一日お疲れ様でした(^^♪
本日は奈良の天理、鹿児島の神村、西東京の東海大菅生、青森山田が試合をしました。
明豊たVS神村学園の試合はやばかったです(>_<)
熱闘甲子園ぜひ見てください。(^^♪
明日と明後日は土日ですのでお休みの方達がおおいですかね。
休みも全力で遊んで全力でゆっくりしてくださいね!(^^)!
毎日のブログを楽しみにしている、高校野球大好き「源義経FAN」です。
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
からの続きになります。
北条氏による執権政治
北条氏台頭までの流れ
初代:源頼朝 1199年落馬が原因で死亡したという説があるが病死したとも言われている。
頼朝:「短い天下だった・・・・・・・(ポックリ)」
↓
2代目:源頼家 頼朝の長男だが、御家人達による権力争いに巻き込まれ実権を与えられずに幽閉され1204年に殺害される。
頼家:「俺の人生って一体・・・・・・(ポックリ)」
↓
3代目:源実朝 頼朝の次男で、金槐和歌集を残したことで有名にはなっているが、1219年に頼家の子公暁により暗殺された。
実朝:「歌うたってただけなのに・・・・・・(ポックリ)」
↓
公暁も将軍暗殺の罪で打ち取られます。
公暁:「そそのかされただけなのに・・・・・・・・(ポックリ)」
この時点で頼朝の血筋は絶え、北条氏に実権を握られる。
4代目:九条頼経(1226年~)→5代目:九条頼嗣(1244年~)
6代目:宗尊親王(1252年~)→7代目:惟康親王(1266年~)
→8代目:久明親王(1289年~)→9代目:守邦親王(1308年~)
といった流れです!
このころは簡単に血が途絶えるんですよね(>_<)
今の現代からは考えられないのですが、これが普通だったんでしょうかね。
裏切りの毎日と復讐の連鎖(/_;)
すごく寂しいですね。お金と権力がある場所には争いが起こる・・・そう考えれば今も変わらないのかもしれません。
それさえなくなればとは思いますが、永遠の課題でしょうね。
本日はここまで!
今日も一日お疲れ様でした(^O^)/
では、明日も一日良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪