源平合戦 源氏の従兄弟喧嘩!? 平安時代 其の14の5
本日の甲子園は地元愛知の中京大中京が登場しました!
結果だけだと初戦敗退で残念でした。
強豪の広陵が相手でしたのでもう少しのところでしたが負けてしまいました(T_T)
広陵頑張って下さい。中京は優勝校に負けましたよって言いたいです(/ω\)
さて、皆様今日は良い笑顔が生まれましたか(*^_^*)
毎日のブログを楽しみにしている、高校野球大好き「源義経FAN」です。
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
からの続きです。
まだまだ引き続き源平合戦のお話をしましょう。
本日は倶利伽羅峠の戦いで大勝した後からになります。
宇治川の戦い「宇治川の先陣争い」
宇治川の戦いは、1184年1月に源義仲と源範頼、源義経とで戦われた合戦です。
背景
1183年7月に源義仲が入洛しました。
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義仲は京で乱暴を働き後白河法皇と対立していました。義仲は備中国水島の戦いで平家軍に大敗した為、
法皇:「義仲弱くね?あいつ使えねぇな?」
と後白河法皇は義仲を見放しました。
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法皇:「頼朝使えるんじゃね?ちょっと声かけてみる?」
と院宣を下し、頼朝に近づきました。
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義仲:「法皇!お前とは気が合わん!豚箱にぶち込んでやる!!」
と後白河法皇を幽閉して政権を掌握しました。これを法住寺合戦と呼んでいます。
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その後、義仲は征東大将軍に任命されましたが、頼朝が
頼朝:「範頼ちゃん、義経ちゃん、なんか義仲調子に乗ってるし、朝廷に命令されたからさぁ、ぎゃふんと言わせちゃってよ」
範頼、義経に義仲追討を命じた為勃発したのが富士川の戦いです。
流れ
義仲は、水島の戦いの敗北で千騎あまりに激減していた。
その後、範頼が北陸道の入口である近江国の瀬田に兵を進めて義仲軍を京都に閉じ込めてしまった。
義仲:「京都からでれねぇし、さすがに数が少なすぎる・・・やべーなぁ」
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義仲は今井兼平に500余騎で瀬田、根井行親、楯親忠には300余騎で宇治、義仲は100余騎で院御所を守護していましたが
義仲:「無理無理無理!絶対少ないって!守り切れねぇ!」
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範頼は3万騎で瀬田を、義経は2万5千騎で宇治を攻撃しました。
義仲:「いやいや・・・どんだけ大群で来るんだよ・・・頼朝君も義経君も従兄弟なんだからさぁ・・・」
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義経軍は矢が降り注ぐ中を宇治川に乗り入れた。「宇治川の先陣争い」はこの時のことです。
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義仲が出陣し、義経軍と激戦となる。義仲は敗れ、義経は自ら数騎を率いてさらに追撃し、後白河法皇の確保に成功する。
義仲:「やべっ!!法皇の人質が最後の切り札だったのに!!リアルにやべぇ!」
後白河法皇連れ出せないことを悟った義仲は仲間と合流するために瀬田へ
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義仲は北陸への脱出をはかるが、範頼のに襲われ討たれた・・・
頼朝・義経・義仲:「昔は同じ方を向いて戦ったのにね・・・世知辛い世の中だよ」
↑ 宇治川
本日はここまで!皆様一日お疲れ様です!
このブログを朝見ている人は今日も一日全力で頑張ってください(^O^)/
では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪