自己満足でなにが悪い!! 

皆様、こんにちわ。日本史・高校野球・社会保険労務・等々、色々な知識をおつたえします。たまに妄想も(>_<) コメントお待ちしております(^^♪

平清盛死す(*´Д`) 平安時代 其の14の4 源平合戦 

甲子園二日目!

本日は昨夏の王者のである作新学院(栃木)の登場です。

連覇を目指しての初戦です(^^)/相手は強敵盛岡大付(岩手)

結果は知ってますが、どんなストーリーだったのでしょうか(>_<)

今夜の熱闘甲子園が楽しみです(^^♪

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さて、皆様今日は良い笑顔が生まれましたか(*^_^*)

毎日のブログを楽しみにしている、「源義経FAN」です。

 

では、本日も少量ですが日本史タイムです!

平安時代 其の14の3 源平合戦 無血勝利!!

からの続きです。

昨日に引き続き源平合戦のお話をしましょう(^^)

本日は平清盛が死んでしまってから倶利伽羅峠の戦いまでです。

 

平清盛

最後を悟った清盛は、後は宗盛に任せてあると法皇に伝えたが、反応が無かった。
「天下の事は宗盛に任せ、異論あるべからず」と残し、2月4日に死亡した。

平家物語では清盛が死んだ時に「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」と遺言を残したとしています。頼朝が密かに平氏との和睦を申し入れたようだが、宗盛は清盛の遺言として「我の子、孫は一人生き残る者といえども、骸を頼朝の前に晒すべし」と述べ多様です。

倶利伽羅峠の戦い

倶利伽羅峠の戦いは、現富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦です。
平維盛を総大将とする10万騎の大軍を出し、義仲軍は越中国へ後退を余儀なくされる。
平盛俊の軍が、木曾義仲軍である今井兼平軍に奇襲されて戦況不利に陥り退却(般若野の戦い)。
夜間に義仲軍は突如大きな音を立てながら攻撃を仕掛けました。

平氏:「何々?何の音?やべーって!責められてんじゃねぇ!」てな具合でみんなテンパってしまったようですよ。

平家軍は退却しようとするが退路は押さえられていた為、平家軍7万余騎は敵が攻めてこない方向へと逃れようとするが、そこは・・・

平氏:「うわ!崖だよここ!押すな押すな!落ちるって!!!!!」

平氏:「うわぁーーーーーーー!落ちたよ!あいつ落ちたって!」

平氏:「大将はどこに行ったよ?えっ?落ちた?まじかぁ」

倶利伽羅峠の断崖で、平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅したとのことです。
平維盛:「ふぅ~何とか逃げれたなぁ。とりあえず京に行くか」

平維盛は命からがら京へ逃げ帰ることに。
源義仲は京へ向けて進撃を開始し上洛を果たす。平家は安徳天皇を伴って京から西国へ落ち延びることになる。

 

本日はここまで!皆様一日お疲れ様です!


 このブログを朝見ている人は今日も一日全力で頑張ってください(^O^)/
 では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪