源平合戦スタート!! 平安時代 其の14の2
本日は台風5号の接近でバタバタでした。
支店に水が入ってこないかどうか心配で自分の仕事が進みません。(/_;)
更には事務所引っ越しの際のデスクが組み立てサービス無し( ゚Д゚)で18個届きました。
最悪でした!オフィスデスクを組み立てるなんてやってられるか!・・・5時間後にデスク・椅子✖18個完成(-_-)
そんな自分の仕事が進まなかった一日でした。
皆様今日は良い笑顔が生まれましたか(*^_^*)
毎日のブログを楽しみにしている、「源義経FAN」です。
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
からの続きです。
以仁王
後白河院の妹である八条院のもとには、放置されていた以仁王や源頼政達の武力が結集していました。
この状況で平清盛は安徳天皇の即位を行ったが、それに対して以仁王は不満を感じていました。
これに対して
以仁王:「俺を無視するなぁ!!」と激怒。
1180年5月に挙兵をしました。
はじめは鎮圧する立場だった頼政も最終的には挙兵に参加し、さらには八条院の武力も加わったのですが、結果で言えば鎮圧されちゃいました(-_-)
源頼朝の挙兵
源頼政の敗死によって、源の一族を抹殺すべく捜索が始まりました。
平氏:「そういえば平治の乱の時に頼朝逃がしてやったなぁ。やっぱりやっちまうか?」
と考えたため、
三善康信がこれに危機感を覚え、源頼朝に危機を知らせました。頼朝に対し、奥州に逃げるように勧めるが頼朝は
源頼朝:「いやいや、逃げる必要ないでしょ。あいつやこいつにやられる前にやっちまおーぜ!」
と考え、北条氏などと連携し、伊豆で挙兵。
そして山木兼隆を襲撃し殺害しました。
頼朝はられるとおもったんでしょうね・・・残念、石橋山の戦いで負けちまいやした。
源頼朝:「死んでたまるか!覚えておけよ!」
と意気込んで、安房に逃亡することとなる。
あーだこーだとその後は見方を増やし、鎌倉入りをしましたとさ。
鎌倉の大仏
本日はここまで!皆様一日お疲れ様です!
このブログを朝見ている人は今日も一日全力で頑張ってください(^O^)/
では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪