仏教公伝と蘇我氏の台頭 飛鳥時代 其の1
皆様こんばんは(^^)/
昨日はご近所様のご自宅におもてなしされに行ってきました。
3家族合わせて子供7人と大人6人の13人・・・当然ハチャメチャでした。
大人は落ち着いて趣味とは教育とかについて話し合ってましたが、その後ろであーでもないこーでもないってわめいているチビーズの集団。
最初は気を使いましたが、気さくな人たちばかりで楽しかったです。
ママ友はいつも通りですが、3人でわいわい話をしていました。
ご飯食べて、花火して、子供とゲームして・・・
チビーズはお泊りしたいとわがまま言ってましたが、大人の事情で完全拒否してやりました。得意の「また次ね」の一言です。
で、今日はお昼から妻の友達が3人来て子供が8人・・・どれだけわちゃわちゃしたことか(*´Д`)
途中から私はお昼寝してやりました(-_-)
では!本日の日本史タイムに入ります。
仏教公伝
538年に宗教である仏教が公伝しました。百済(くだら)の聖明王によって日本につたえられましたが、すでに複数の神々を信仰していた為に、仏教と元来の信仰を巡って対立が始まる。
崇仏論争
朝廷の神事を物部氏と中臣氏が司っていたが、仏教の信仰には反発。反対に蘇我氏は積極的に仏教を導入しようとしたため崇仏論争と呼ばれる対立が勃発する。
崇仏論争で、行動に出たのが蘇我馬子であり、587年に大軍をを率い大連物部守屋を撃ち、蘇我氏が朝廷の中心となりました。その後、蘇我馬子は明日香地方(奈良県中部)に飛鳥寺を建立。この時期以降から聖徳太子の時代、大化の改新、天智天皇の政治の時代を飛鳥時代と呼んでいます。
飛鳥寺本堂です。
天皇の擁立順は用明天皇(31代)→崇峻天皇(32)→推古天皇(33代)と推移していくが、その間に色々なことが起こっていたようです。自立を模索したり、暗殺を実行したり裏から手をまわし即位を促したり・・・今の時代から考えればめちゃめちゃですね。
で、結果で言えば、蘇我馬子・推古天皇・厩戸王(聖徳太子)による蘇我系三頭政治が始まったわけです。
本日はここまで!
明日は7月10日月曜日「納豆の日」です。
完全に語呂合わせですね( *´艸`)
関西納豆工業協同組合が1981年に関西地域限定の記念日として制定し、全国納豆協同組合連合会が1992年に、改めて全国の記念日として制定した。とのことです。
納豆の日よりも、なによりも!全国高校野球の時期がやってきますね(^^)/
今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか。楽しみです。
では、皆様の明日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪