弥生時代 ~邪馬台国~
皆様一日お疲れ様でした(*´Д`)
今日は運転ばかりの一日でした。日帰りでの岐阜県出張。
それは良いのですが経費を貰い忘れて、とりあえずの実費。
財布にそんなにお金無いのに・・・。
岐阜の役所でふれあい会館と呼ばれる建物があるのですが、とっても大きくてびっくりしました(゚Д゚)
駐車場の数がとってもたくさんあるのですが、一台も止められないというちょっとした嫌がらせに遭遇しました。理由はわかりませんが、車が減らないんですよね・・・
おかげさまで駐車場の空き待ちでおよそ30分。これから行くなら午前中にしたほうが良いのではと感じましたね。
ちなみに今はクレージージャーニーを見ながらブログをちまちま更新中(/ω\)
面白いですよね(^◇^)
では、本日の日本史タイムです!
この時代は記録が無い為、中国の書物に情報が描かれています。そこには邪馬台国や卑弥呼といった内容が描かれております。
くに
1世紀ころには集落と集落が合体し、「くに」と呼ばれるような集まりが各地にでき始める。これは中国にある歴史書に記述されている。
王朝漢の歴史書の一部「漢書地理志」には倭人と呼ばれる日本人の国が100余国存在したとされています。
奴国
金印には「漢委奴国王」と刻まれていたが、福岡の志賀島で発見されており、奴国が福岡付近に実在したと予測される。
後漢書東夷伝と呼ばれている個所には、卑弥呼という女王により倭国の多数のくにはまとめられたと記されている。
倭国大乱と呼ばれているが、卑弥呼はこの大乱を治め、邪馬台国という国家を建国したとされる。
魏志倭人伝には、卑弥呼は魏の明帝から金印と「親魏倭王」の称号を得たと書かれている。
卑弥呼が亡くなってしまった後は内乱が勃発したと言われている。
漢書地理志:『漢書地理志』紀元前1世紀ごろに「漢」が、「倭」について書いたもの
後漢書東夷伝:「後漢」という国が、「倭」を記したものです。57年に「奴国」から使者がきて、金印を後漢の王である光武帝に授けた。
魏志倭人伝:倭は、卑弥呼という女の王を立てたところ、占いや祈祷で政治を安定させている。と書かれている。
と言う事で、本日はこれまで!!クレージージャーニーに気を取られいつも以上に時間がかかってしまいました(/ω\)
明日は7月7日金曜日。ご存知の通り七夕ですね(*^_^*)
あれ?短冊がない・・・願い事がたくさんあるから書かなくちゃ。
では、皆様の明日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪