源平合戦 「扇の的」これはすごいっす!! 平安時代 其の14の7 源平合戦
本日の甲子園は東海大菅生が登場いたしました。
清宮率いる早稲田実業を下しての甲子園出場校でした!
本日の試合結果を見る限り、やっぱり強かったですね(>_<)
高校球児の皆様本日もお疲れさまでした。
負けてしまったチームも3年間お疲れさまでした。心震える試合をありがとうございます。(o_ _)o
さて、皆様今日は良い笑顔が生まれましたか(*^_^*)
毎日のブログを楽しみにしている、高校野球大好き「源義経FAN」です。
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
平安時代 其の14の6 源平合戦 源義経の奇襲!!(^^)/
からの続きです。
まだまだ引き続き源平合戦のお話をしましょう。
本日は一ノ谷の戦いで奇襲が成功した後からになります。
屋島の戦い
背景
一ノ谷の戦いの後、平氏は屋島を本拠とし、平知盛を大将に置いた。有力な水軍で瀬戸内海の実権を握り、力を蓄えていました。
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後白河法皇は三種の神器の返還と和平を伝えたが、宗盛はこれを拒否しました。
宗盛:「さすがに何度も騙されねってば!」
その後、頼朝は後白河法皇に義経を総大将として平氏を討伐したいと伝える。
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後白河法皇は安徳天皇を廃し、弟の尊成親王を即位させた為、朝廷と平氏は完全に決裂しました。
流れ
1184年2月18日、暴風雨のため各将は出港を拒んだが、義経は郎党に命じて、僅か5艘150騎で出航を強行する。通常の数倍の速さで到着したと言われています。
義経:「嵐か・・・!!風強いから通常より早く着くね(^^)/」
郎党A:「マジで!!・・・こうなったら何言ってもダメだな。」
郎党B:「(うちの大将早く行動しないとうるさいからなぁ) おい!そこの船頭!船だせ!!」
船頭:「(-。-)y-゜゜゜・・・・・・!!マジで言ってますか?大将!嵐でっせ!」
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勝浦に上陸した義経は地元の味方を増やし、屋島の平氏は手薄であるとの情報を手に入れ、好機と判断しました。
義経:「んっ・・・手薄ってことは、このまま進めば奇襲できるんじゃね?行くか?」
郎党A:「!!(まさかの徹夜?)・・・・行きますか。」
郎党B:「(船旅直後に奇襲って・・・元気な大将だなぁ)」
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まず、義経は平氏の舘を襲い、徹夜で讃岐国へ進み2月19日に屋島の対岸に到着しました。干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経は強襲を決意し、一気に屋島の内裏へと攻め込みました。
義経:「おっ!馬で行けるじゃん!ラッキー(^^♪ 行くぞ野郎ども!」
郎党:「平氏ども混乱してんなぁ・・・これは勝ったな!( `ー´)ノ」
平氏A:「!!!!また来た!奇襲だぁーーーーー」
平氏B:「またかよぉ・・・勘弁してよ」
陸からの奇襲を予測していなかった平氏は、内裏から逃れ、檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出しました。
扇の的
扇の的は有名な話ですが、信じるか信じないかはあなた次第です( *´艸`)
平家の船から女性が出てきて、扇を舟の先端にある竿につけ「射てみよ」と叫びました。
義経:「売られた喧嘩は買うしかねぇ!断れば源氏の名折れだ!」
郎党:「言っちゃったよ・・・(誰がやるんだよ)」
まぁ普通なら無理ですよね。だーれも立候補しませんし、郎党どもに断られてました。
だがここで無茶を言った人が!
那須十郎:「私は怪我をしており無理ですが、弟の那須与一ならば!!」
那須与一:「!!!!!!(兄貴無茶言うなよ!!)・・・(なにこの空気?引き受けるしかなくねぇか?)」
那須与一:「お任せあれ・・・(はぁ俺終わったな、的を外して自害決定だよ。兄貴・・・恨むよ)」
結果、矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。と言われています。
本日はここまで!皆様一日お疲れ様です!
このブログを朝見ている人は今日も一日全力で頑張ってください(^O^)/
では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪