源平合戦 無血勝利!! 平安時代 其の14の3
ついについに甲子園が開幕しました(^O^)/
一年で一番わくわくしている時期です。
お盆休みが無い会社ですので、決勝の日は有給を申請する予定です。
(申請後に雨天で決勝がずれないで下さい・・・神様)
熱闘甲子園に集中してたらブログが一切進まなかったです(/_;)
野球好きは是非フォローしてあげてください。
さて、皆様今日は良い笑顔が生まれましたか(*^_^*)
毎日のブログを楽しみにしている、「源義経FAN」です。
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
からの続きです。
昨日に引き続き源平合戦の詳細を説明していきましょう。
源義仲
源義仲は、平安時代末期の信濃源氏の武将。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたり、木曾義仲の名でも知られています。1180年9月に義仲は兵を率いて北信の源氏方救援に向かいました。その後も倶利伽羅峠の戦いや篠原の戦いで活躍をみせる。
富士川の戦い
1180年10月平維盛軍と源頼朝軍が静岡にある富士川を挟んで退陣しました。
10月19日の夜に武田信義が対岸の陣に奇襲をかける際に富士川の水鳥が一斉に飛び立ち、その音に驚いた平氏の軍は
平氏A:「やべっ!なんの音?絶対やばいって!とりあえず逃げるしかねぇ!」
平氏B:「あいつ逃げやがった!俺だって死にたくねぇ!」
平氏C:「あいつら逃げやがった!俺だって死にたくねぇ!」
と一斉に逃げてしまったとさ。
(平家物語には一戦も交えずに退散したと明記されています。)
源頼朝はそのまま京に攻めようと考えたが、
千葉常:「まぁ待て、まぁ待て、関東を固めてからにしねぇ?」
上総介広常:「おっ!俺もちょうどそう思ってたんだよね」
三浦義澄:「やっぱり?俺も俺も」
源頼朝:「えーまじで?勢いづいてるのに?まぁでも皆が言うならそうしよかな。」
と、兵を鎌倉に帰した。
その道中で10月21日奥州から頼朝の挙兵を知り、駆けつけた義経と対面したようです。
後にあんなことになる二人とはこの時知る術もなかったのですかね・・・(*´Д`)
本日はここまで!皆様一日お疲れ様です!
このブログを朝見ている人は今日も一日全力で頑張ってください(^O^)/
では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪