ついに平氏と源氏の争いが(>_<) 平安時代 其の12
皆様今日は良い笑顔が生まれましたか(*^_^*)
毎日のブログを楽しみにしている、「源義経FAN」です。
本日は会社のとある部署が引っ越しをしました。が、結果一部だけ引っ越して書類と書庫が移動しただけでした。少しづつ引っ越しするタイプの会社なんですね(>_<)
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
平安時代 其の11 源氏!? 私の大好きなお話になってきました(^O^)/
からの続きです。
平治の乱
内容
今日は平治の乱について説明していきますね。こちらも保元の乱と一緒で簡単に言えば、いろんな人が混ざり合って争った騒乱です。
1159年に源義朝が平清盛とバチバチしたことが平治の乱と呼ばれました。
3年前は一緒に戦ったのに3年もすればそんなことは忘れてしまうんですね。
対立構図
発生理由
1159年に源義朝が平清盛に対して「あいつら保元の乱以降、調子に乗ってるな」「特に後白河天皇と信西に寵愛されやがって!気にくわねぇ!」との事で攻め落とすことを決意したための騒乱。簡単な話、気に入らない為のクーデターですね( ゚Д゚)
結果
源義朝は御所を抑えて信西の命を奪うことに成功したため、「行ける!」と思ったのですが、清盛が京に戻った途端に形勢逆転!「やべっ!」となった源義朝は逃げた先の三河で旧臣に討たれて逝ってしまったとさ。
そんなことより↓を注目!
調子に乗った平氏一門は大きなミスをしたのです(*^^)v
後に清盛が討たれる事となった二人ですので、切ない話ですが、義経伝説はここから始まったと考えると「清盛グッジョブ!」です。
清盛の継母である池禅尼の嘆願で源頼朝は助命→池禅尼グッジョブ!
義経の母である常盤御前の嘆願で源義経助命→常盤御前グッジョブ(^^)/
「源平桃」は、源氏(白)と平氏(赤)が由来
本日はここまで!皆様一日お疲れ様です!
このブログを朝見ている人は今日も一日全力で頑張ってください(^O^)/
では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪