私の大好きなお話になってきました(^O^)/ 平安時代 其の11 源氏!?
皆様今日は良い笑顔が生まれましたか(*^_^*)
毎日のブログを楽しみにしている、「源義経FAN」です。
大河ドラマの「義経」を一から見ようか考え始めている今日この頃。
まず第一に時間が無い!睡眠時間を削る必要がある!
・・・ということで検討中(ノД`)・゜・。
義経の生き様は最高に好きです!義経については後日ブログで細かくお伝えしますので、お楽しみに(^O^)/
では、本日も少量ですが日本史タイムです!
からの続きです。(まだ義経特集は無いですよ(/ω\))
保元の乱
内容
保元の乱について説明していきますね。
いろんな人たちが混ざり合った覇権争いなのですが、簡単に説明すると、
一番偉かった鳥羽上皇が崩御なされた1156年に、後白河天皇と崇徳上皇が皇位の継承をめぐり対立した内容です。ついでではありませんが、藤原氏もそれぞれの皇室に味方し平氏と源氏もそれぞれの皇室に味方した。といった感じです。
対立構図
発生理由
上皇と天皇の関係は原則として親子関係(親が上皇で子が天皇)の場合のみ権力が上皇に大きく影響すると言われています。ところが崇徳上皇は弟に譲位し、さらに次も弟が天皇に即位した為、自分の子が天皇になれず、権力が衰退していきました。そこに怒りを感じたのでしょうね。親父の鳥羽上皇が崩御した直後に「ここしかない!」と思ったのでしょう。暴れてやるとばかりに保元の乱を起こしてしまいました。
結果
残念でした、崇徳上皇は破れてしまいました( ノД`)シクシク…一度もTOPにはなれなかったですね・・・
(源義朝は源為義の長男でしたが、どんな気持ちだったのでしょうかね(´;ω;`)ウゥゥ)
この乱により見事活躍して見せた武士達が力を付けていく転機となったと言われています。
本日はここまで!皆様一日お疲れ様です!
このブログを朝見ている人は今日も一日頑張ってください(^O^)/
では、皆様の一日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪