すでに天皇名が覚えれない・・・即位しすぎ 平安時代 其の6 ~宇多天皇と阿衡の紛争~
皆様こんばんは!毎日のブログを楽しみにしている、「源義経FAN」です。
半分日記(日記は良いものですよ)、半分日本史(日本史好きなんですよ)、最後に一言放って(雑学)勝手に終わるブログです。
今日は一日の内で半分ほど運転をしておりました。
あっち行って、こっち行って、さらにあっち行ってみたいな感じです。
上司にあれを頼まれてこれを頼まれて全く仕事が進まずかなりイライラしてました。
まぁしょうがないかなと思ってますし、みんなそうなんだろうなと勝手に思ってます。
帰ってきたら子供からのクイズの嵐。その中で面白かったクイズが
次男「パパ!一択クイズね!」
妻「!? 答えしか無くね?(苦笑)」との鋭い突込みが瞬時に!
小1の発想は恐ろしや。答えしかない問題を作るなんて発想は今まで一度も考えたことが無かった・・・解答者を喜ばせるだけの問題・・・天才かも( ゚Д゚)
さぁ、では世の中に一択の試験は無いという事実を認識している皆様!日本史タイムです!!
平安時代 其の5 ~応天門の変と臣籍降下~ 個人的に好きな時代 - 日本を生きるとは!! ~日本史から学ぶ~
からの続きです。
藤原基経(ふじわらのもとつね)
↓・暴政を理由に藤原基経(良房の養子)によって退位させられる。
↓・代わって光考天皇が即位(陽成天皇の大叔父にあたり文徳天皇の弟)
↓・光考天皇は55歳にしての即位に対し、基経に感謝を示し、のちの関白に発展する大権を与えた。
宇多天皇(うだてんのう)
↓
・宇多天皇は藤原氏を外戚に持たない為、菅原道真ら学者を重用した。
↓
・これを藤原時平(基経の子)が警戒し、醍醐天皇に譲位後、道真を左遷した。
↓
・道真が大宰府で失意のうちに没すると醍醐天皇の皇子が続々と病死する。
落雷や時平の死、それらを道真の祟りと恐れ天神信仰が始まった。
↑大宰府
阿衡の紛議
・宇多天皇が即位
↓
・基経に先代の天皇が委任した大権を引き続き持たせるための詔書を橘広相が起草
↓
・基経はそれを辞退する。
↓
↓
・橘広相の起草は「阿衡に任ずる」と明記されていた。
↓ 「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」との一文
・阿衡は実権が無いことが判明
↓ 「阿衡は位貴くも、職掌なし」と基経の耳に入る
基経は一切の政務を放棄。宇多天皇は基経に丁重に了解を求めたが、確執は解けなかった。この件で橘広相は処罰され橘氏は没落
では、本日はここまで!お疲れ様です!
明日は明日で全力で頑張ろう!!
明日は7月26日 水曜日 幽霊の日です。
1825年のこの日、江戸の中村座で四世鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演されたことから命名されたようです。
では、皆様の明日に良い笑顔が生まれることを祈っております( ^ ^ ♪